突然ですがあなたは自分や家族などが最期を迎えるとき、つまり死ぬ時にどんなシチュエーションでそれを迎えたいかを考えたことはありますか。
「死」という漠然とした実感のないものに対して、多くの人は考えたことも感じたこともないのではないかと思います。おそらく、たまにある親戚のお葬式でそれに触れるくらいでしょう。
もちろん、僕自身も常にそれを考えているわけではありません。死は非日常的ですし、そんなことが日常になってしまったらストレスでとんでもないことになってしまいます。
しかし、死は時期は違えど誰にでも平等にやってきます。明日かもしれないし、50年後かもしれない。絶対に避けては通れないテーマだと思います。
僕は仕事柄、病院や今務めている職場で死の場面には何度も立ち会ってきました。死を迎える過程は人それぞれ違い、家族に囲まれて死んでいく方もいれば誰にも看取られずに業者が迎えに来る方など十人十色です。どの形が幸せかは他人が評価できるものではありませんが、この人は最後にどのような気持ちで逝ったのだろうか、望むような最後だったのだろうかと考えます。そして最後に関わった人間として、それが僕でよかったのだろうかとも思います。
一つ実体験をお話しします。
僕には中学校の時、ボブというあだ名の友達がいました。当時好きだったゲームやアニメのことで話が合い、クラスは違えどよく話をしていました。ちょっと人見知りなところはありますが、いつもいい笑顔で接してくれ今でもすぐに顔が浮かぶくらい印象に残っています。高校に進むとほぼ交流がなくなってしまい、次に会った(見た)のは19歳のある日でした。
本屋に車をとめると隣からちょうど出ていく車があり、それがボブでした。声をかけようかと思いましたが「また会った時でいいか」と思いそのまま用事を済ませて帰りました。
そして3日後くらいに、ボブが死んだと友達伝いに聞きました。
よくあるパターンの話ですが、マジです。現実にこんなことが身近に起こるとは思っていませんでした。3日くらい前の夜に、練炭自殺を図って河原で見つかったとのことでした。
もしかすると、僕が見た姿が最期だったのかもしれません。人の死はあまりにも突然で、近くに起こりうるものだと実感しました。ちなみに、あそこで彼と話しておけば…とは僕は思いません。僕くらいの関係性の人間がその場で何を言っても結果は変わらなかったと思いますし、あとの祭り、自己満です。
僕がこの経験から伝えたいことは2つです。最近の自分自身への戒めのためにも書き記します。
①家族、友人、知人と悔いなく過ごすこと。用事を後回しにしない。
②①にあげたすべての人は無理でも、近しい人の死について考えておくこと。
①は上の経験から感じた内容通りのことです。②はその人の最後の在り方について。もし何かあったときにどうしてほしいのか(例えば心肺蘇生はするのか、など)を当人と
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